乱歩作品の人気投票にあの後も何人かご意見をいただきました。ありがとうございます。
「目羅博士の不思議な犯罪」を選んだ方がずいぶんいました。この作品は「押絵と旅する男」や「火星の運河」などと同様、幻想的な色彩が強い作品でファンが多いですね。月光や鏡など乱歩の“夜の夢こそまこと”といった嗜好が横溢しています。私にとっても「目羅博士の不思議な犯罪」は、手ごろな長さでよくまとまっているストーリーが小さな美術工芸品を連想させ、手元において再読を繰り返すお気に入りの作品です。
当作品は昭和6年4月に「文芸倶楽部」増刊号に発表されました。その後、乱歩の希望で「目羅博士」と解題されました。ですから春陽堂版以外はたいてい「目羅博士」というタイトルで文庫収録されています。現在刊行中の光文社文庫版江戸川乱歩全集はオリジナルの「目羅博士の不思議な犯罪」になっていますが。
ストーリーはこんな感じです。ある日の夕暮れ閉園間近の上野動物園の猿山の前で、私=江戸川乱歩は一人の青年に話しかけられます。この青年が明智小五郎だと言う人もいます。ぼくも容貌や語り口からそうだと思いますが、乱歩にそんな記述はありません。その青年はその後、月光に照らされた不忍池を前にして世にも不思議な物語を始めます。こんな感じです。
「ああ、月が出ましたね」
青年の言葉は、ともすれば急激な飛躍をした。ふと、こいつ気ちがいではないか疑われるほどであった。
「きょうは十四日でしたかしら。ほとんど満月ですね。降りそそぐような月光というのは、これでしょうね。月の光って、なんて変なものでしょう。月光が妖術を使うという言葉を、どっかで読みましたが、ほんとうですね。同じ景色が、昼間とはまるで違ってみえるではありませんか。あなたの顔だって、そうですよ。さっき、サルの檻の前に立っていらっしゃったあなたとは、すっかり別の人に見えますよ」
そう言って、ジロジロ顔を眺められると、私も変になって、相手の顔の、隈になった両眼が、黒ずんだ唇が、何かしら妙な怖いものに見え出したものだ。
「月といえば、鏡に縁がありますね。水月という言葉や、『月が鏡となればよい』という文句ができてきたのは、月と鏡と、どこか、共通点がある証拠ですよ。ごらんなさい、この景色を」
彼が指さす眼下には、いぶし銀のようにかすんだ、昼間の二倍の広さに見える不忍池がひろがっていた。
(以下、略)
その後不思議な青年は、丸の内ビル街の裏通りで月光の輝く夜にだけ起きる連続自殺事件とその奇妙な結末について語り終えて、夜の闇に消えて行きます。短い作品ですが余韻があって素晴らしいです。まだ読んだことのない方がいましたら、ぜひお勧めの一作です。ちなみにこの作品を読むのでしたらやはり春陽堂文庫がよいでしょう。「目羅博士の不思議な犯罪」は江戸川乱歩文庫の「屋根裏の散歩者 他六編」に収録されています。この文庫には「目羅博士の不思議な冒険」「押絵と旅する男」「虫」「鏡地獄」「火星の運河」「疑惑」そして「屋根裏の散歩者」というように傑作揃いそして先程冒頭でも書きましたが、乱歩の大好きな、鏡・レンズ・覗き趣味など視覚の不思議をモチーフにした作品集となっています。
ほんといいですよ。
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