「木馬は廻る」は乱歩作品のなかでは少々異色な作品と言えるでしょう。この作品には何かしょっぱいような哀愁が漂います。「木馬は廻る」は、大正15年10月に『探偵趣味』に発表された小品です。乱歩自身もその自作解説のなかで、「取るに足らぬ小篇であるが、私自身はそんなに嫌いではない」といっています。私も乱歩とは全然時代が違うのですが、この作品を読むと自分の少年時代に花屋敷や新世界で遊んだことを懐かしく思い出します。
現在の浅草公園の中でも、この作品の舞台である「木馬亭」の一画は作品当時の面影を比較的よく残してると思われます。つまり観音様の左側を六区に抜ける「花やしき通り」のあたりです。ここには今でも、軍服やチャンバラ衣装、礼服一式7,000円とか、質流れ品とかを売る、露店というかテント屋根の店がひしめき合っていて、このタイムスリップ感はとても不思議でコワイです。残念ながら写真では暗くてよく解かりませんが、入り口のところに「木馬館」時代を偲ぶ木馬が飾られています。今の遊園地のメリーゴーラウンドと比べ、とても小さいです。
乱歩は実際にこの木馬に何度も乗っているようです。それも一人でではなく、横溝正史や詩人の萩原朔太郎なんかと一緒に乗っていたということです。それもなんかすごいですね。
以下、「木馬は廻る」の一節を紹介します。木馬亭の雰囲気が良くわかるとともに、当時の浅草公園のワンダーランド的な空気が伝わってきます。
そして、その晩もまた、公園をさまよう若者たちが
「木馬館のラッパが、ばかによく響くではないか、あのラッパ吹きめ、きっと嬉しいことでもあるんだよ」
と笑いかわすほども、それゆえに、格二郎は、彼とお冬との嘆きをこめて、
いやいや、そればかりではないのだ、この世のありとあらゆる歎きの数々をラッパに託して、公園の隅から隅まで響けとばかり、吹き鳴らしていたのである。
無神経な木馬どもは、相変らず時計の針ように、格二郎たちを心棒にして、絶え間なく廻っていた。
(以下、略)
50過ぎの格二郎が18の小娘、お冬に対しての「かすかに甘い気持ち」が切ないです。
お冬に会えるということで出勤が楽しくなったり、なんとかショールを買ってやれないかと悩んだり。
恋愛とはちょっと違うこの感情。
30代の頃は気づきませんでしたが40を過ぎて改めて読むと格二郎の気持ち、なんとなくわかります。
投稿情報: ろく | 2006-03-01 20:13
ろくさん
コメント感謝です。「木馬は廻る」の魅力はこの乱歩らしからぬあったかさですね。乱歩は木馬亭で大好きな木馬にまたがる度になんだか優しい気持ちになったのでしょうね。
私も今度の休みに花屋敷のメリーゴーラウンドに乗ってみようかなあ。ちょっとよいオヤジになれるかも。
投稿情報: 乱歩帳主人 | 2006-03-02 00:04