物語の冒頭の舞台はクリスマスイブのG街(たぶん銀座)。裏通りの暗黒街のナイトクラブに現れるダーク・エンジェル、またの名を黒蜥蜴。
「諸君、御機嫌よう。僕はもう酔っぱらってるんです。しかし、飲みましょう。そして踊りましょう」
美しい婦人は、右手をヒラヒラと頭上に打ち振りながら、可愛らしい巻き舌で叫んだ。
(中略)
暗黒街の女王のこの人気は、一体どこからわいて出たのか。たとえ彼女の素姓は少しもわからなくても、その美貌、そのすぐれたふるまい、底知れぬ贅沢、おびただしい宝石の装身具、それらのどの一つを取っても、女王の資格は充分すぎるほどであったが、彼女はさらにもっともっとすばらしい魅力をそなえていた。彼女は大胆不敵なエキジビショニストであったのだ。
(以下、略)
ということで、黒蜥蜴は彼女を崇拝する男たちの求めに応じて、「宝石踊り」(ストリップ)を演ずる。絢爛たる大粒の宝石以外は何も身に着けない大胆な姿でなまめかしく踊る彼女の左の二の腕には一匹のまっ黒なトカゲの入墨がうごめいていた。
黒蜥蜴は、この世の美しいものという美しいものをすっかり集めるのが望み、宝石や美術品や美しい人までも狙う。大阪の大富豪岩瀬氏の愛嬢早苗と日本一のダイヤモンド「エジプトの星」の強奪をたくらむ黒蜥蜴。それを阻もうとするのはもちろん名探偵明智小五郎。黒蜥蜴は全ての宝石を、明智は自らの探偵廃業を賭けて息詰まる戦いを繰り広げる。
ある時はホテルでそしてある時は通天閣で‥‥、わたしはこの通天閣での宝石を巡る駆け引きのシーンが大好きで、よく「黒蜥蜴」を読み返す。どんでん返しにつぐどんでん返し。そして、黒蜥蜴と明智小五郎はいつしか惹かれあって行く。
最期のシーン、悲しいラブシーンの場面。
明智さん。もうお別れです‥‥お別れに、たった一つのお願いを聞いてくださいません‥‥?くちびるを、あなたのくちびるを‥‥」
黒衣婦人の四肢はもう痙攣を始めていた。これが最期だ。女賊とはいえ、この可憐な最期の願いをしりぞける気にはなれなかった。明智は無言のまま、黒蜥蜴のもう冷たくなった額にそっとくちびるをつけた。彼を殺そうとした殺人鬼の額に、いまわの口づけをした。女賊の顔に、心からの微笑が浮かんだ。そして、その微笑が消えやらぬまま、彼女はもう動かなくなっていた。
(以下、略)
ああ、江戸川乱歩は小説が上手い。「黒蜥蜴」を読むと、他の乱歩小説を読んだ時にはあまり思わない感想が涌いてくる。
別に乱歩の小説が下手だなんて思っていない。ただそんなことを考えないで読んでしまう作品と、この「黒蜥蜴」は明らかに違うということだ。
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