「なまにんぎょう」じゃありません「いきにんぎょう」です。
乱歩の作品には生人形が数多く登場しますね。ある時は「人でなしの恋」のように人形愛をテーマにしたり、またある時は生人形の手足だと思ったら本物の死体だったりと、妖艶にして清楚、人のようで人でなく、人形でありながら息遣いすらを感じてしまうという、こわいような物凄い美しさに乱歩は惹かれていたようです。
この間、桐生八木節祭りに行ってすごい生人形を見てきました。桐生市本町4丁目町会の鉾の生き人形、天才人形師と謳われた鈴木喜三郎が制作した「素盞鳴尊(すさのおのみこと)」です。
松本喜三郎は文政8年(1825)熊本井出ノ口町(現・熊本市迎町)に生まれました。
藩絵師天野良敬のもとで絵を学んだ後、終生のライバルと言われる安本亀八の父・仏師であった善蔵にも弟子入り。20歳頃の喜三郎と亀八は当時から天才の片鱗を見せ、祭り用の人形製作を競い合いました。嘉永元年(1848)彼は上阪し、翌年、四天王寺開帳において人形見世物興行を行った。その後、江戸浅草観音の開帳での人形興行を皮切りに、江戸(東京)での興行も次々に大成功をおさめた。
明治4年(1871)の浅草奥山での「西国三十三ケ所観音霊験記」は4年間にも及ぶロングランとなり、喜三郎は浅草の生人形師として人気を博します。
この「素盞鳴尊(すさのおのみこと)」は、桐生市本町4丁目で買継商を営んでいた磯部庄七が鉾とともに製作を依頼したものだそうです。大きさはほぼ等身大。つくられてからほぼ130年になるそうですが、すごい迫力でした。
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