「D坂の殺人事件」の次は「心理試験」を。
この「心理試験」は大正14年2月に「新青年」に発表されました。「D坂」が大正14年1月発表ですから、ほぼ同時期です。当時の乱歩は新しいトリックの創造に命を賭けていた様子で、作品発表のたびにチャレンジを重ねました。後に少年物ですさまじいばかりのマンネリを繰り広げた乱歩とは別人のような凝りようです。
結果「心理試験」は、当時としては画期的な倒叙型探偵小説(先に犯人がわかってしまい、あとからジワジワと追い詰められていくスタイル、刑事コロンボみたいなやつですな)であり、心理的錯覚とか連想診断などの当時の最新心理学トピックスを盛り込んだ野心作となりました。乱歩はこの作品の評価の高さに自信を得て、プロとして立ったのです。
「心理試験」には明智小五郎が再び登場します。「D坂の殺人事件」でおなじみのという連続性のある紹介のされかたです。
それはこんな感じです。
それは心理試験が行なわれた翌日のことであった。笠森判事が、自宅の書斎で、試験の結果を書きとめた書類を前にして、小首を傾けているところへ、明智小五郎の名刺が通じられた。「D坂の殺人事件」を読んだ人は、この明智小五郎がどんな男かということを幾分ご存じであろう。彼はその後、しばしば困難な犯罪事件に関係して、その珍らしい才能を現わし、専門家たちはもちろん、一般の世間からも、もう立派に認められていた。笠森氏とも、ある事件から心易くなったのであった。女中の案内につれて、判事の書斎に、明智のニコニコした顔が現われた。このお話は「D坂の殺人事件」から数年後のことで、彼ももう昔の書生ではなくなっていた。
(以下、略)
この後、乱歩作品は「黒手組」「幽霊」と矢継ぎ早に発表されていくわけですが、明智小五郎といえば、あいかわらず煙草屋の二階の四畳半に本に囲まれて住んでいて年齢も二十五才くらいのはずです。
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