「幽鬼の塔」の主人公は河津三郎、探偵趣味の高等遊民だ。乱歩の作品に幾度となく登場するキャラクターのタイプである。日々の何不自由ない平凡な生活に飽き足らず、ぞくぞくする猟奇を求めて東京中を探る男。ビルの屋上から双眼鏡で覗いたり、路地にチョークで矢印を描いて回ったり、不審者を尾行して警察に密告したり、少年探偵団ごっこを大人になってもやめられないという一種の変態である。ようするに江戸川乱歩的な男である。
彼はそのころ、毎晩のように黒の背広、黒の鳥打帽という、忍術使いのようないでたちで、隅田川の橋の上へ出かけて行った。東京名所にかぞえられるそれらの橋の上には、設計者の好みの構図によって、巨大な鉄骨が美しい人工の虹を描いていた。黒装束の素人探偵は深夜十二時前後に、橋の袂にタクシーを乗り捨て、人通りのとだえたころを見すまして、その人工の虹の鉄骨の上によじのぼるのであった。
闇のなかの幅の広い鉄骨は、黒装束のひとりの人間を充分下界から隠すことができた。彼はその冷え冷えとした大鉄骨の上に身を横たえ、まるで鉄骨の一部分になってしまったかのように、身動きもしないで、二時間、三時間、闇の中に眼をみはり耳をすまして、その下を通りすがり、その下に立ちどまる人々を観察するのであった。(以下、略)
そんな河津三郎はある時、探偵活動(!)の最中、隅田川にかかる厩橋の鉄骨の上から、黒いスーツケースを下げた不審な男が通るのを見かける。男は新聞紙に包んだ中身だけを大事そうに取り出し、黒いスーツケースだけを川面に投げ捨てる。河津三郎が目撃したこの奇妙なシーンが、「幽鬼の塔」の発端となる。
河津はさっそくこの不審な男を尾行して、まんまと男の新聞紙包みを盗み取ることに成功する。新聞紙を開いてみると、そこから縄の束と木製の滑車と画家のブラウスが出てきた。
「幽鬼の塔」の冒頭は、まるでモノクロのスパイ映画を見ているようにかっこいい。スピード感満点、謎が謎を呼ぶ。連載の1回目でこんなふうに滑り出されたら読者は大喜びだろう。乱歩はまさにこの感じが書きたかったに違いない。
お話はこのあとも、東京の下町を巡ってますます迷宮に入っていく。
では、次回をお楽しみに。
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