あまりの永き休暇に恥じて、初心に戻って乱歩と浅草について書こうと思う。乱歩が浅草を語る文章が彼の随筆集「探偵小説四十年(上)」(大正15年)に収録されている。こんな文章である。
僕にとって、東京は魅力は銀座よりも浅草にある。浅草ゆえの東京住まいといってもいいかも知れない。尤も、活動写真の中心が浅草を離れた形で、その上『プロテア』時代の魅力ある絵看板も禁ぜられているので、やや昔日の俤を失ったが、それにしても、やっぱり浅草は浅草である。江川玉乗り一座のなくなったのは淋しいが、時々小屋掛けのサーカスも来るし『花やしき』には昔ながらのダーク人形、山雀芸等をやっているし、平林、延原両兄が乗った木馬館もあるし、因みに、これには僕も乗ったし、最近では横溝正史君が乗って、大いに気をよくした由である。また僕の大好物の安来節もあるし、そこへ時々は女角力なんて珍物も飛込んで来るのだ。(以下、略)
その後に、ひとしきり浅草木馬館の話、照れくさがる乱歩を無理矢理に木馬初体験させた、萩原朔太郎の想い出と続いていく。
今の浅草ではもちろん木馬には乗れないし、花やしきも変わってしまった。でも、そのかわりと行っては何だが、先週の日曜日は浅草サンバカーニバルがあった。昔は「こんなに浅草に似つかわしくないイベントはないな」と思っていたけれど、今では「これはいかにも浅草にぴったりだ」と考えを大きく変えている。本場リオのカーニバルには日頃抑圧された人々が年に一度大爆発するという陰のパワーが背景にあるということだが、浅草にはまったくそれがない。それが今の浅草なんだろうな。そんな浅草が今でも時折覗かせるダークな顔を見つけた時がまた楽しいんですけどね。
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