乱歩の「吸血鬼」を読んでいたら「人間椅子」を再現したシーンが出てきまして、久しぶりに再読しました。
「吸血鬼」の終盤、犯人も死んで一件落着となったはずが、魔性の女(?)畑柳倭文子が自宅の長椅子の前で背中を刺されて殺害されます。死んだはずの犯人が実は特注の長椅子に隠れていて思いを遂げるというものです。
「吸血鬼」はストーリーの出来としては乱歩自身も素直に反省する通りなのですが、主人公の畑柳倭文子のいたぶられぶりはすごいです。ある時は火葬場で生きたまま焼かれそうになり、またある時は全裸で氷柱にされそうになる。肉感的な美人で惚れっぽくて、道徳観念が希薄そうなキャラクターと相まって、私はコーフンしたものです。実在したら女優だったら誰だろうなあ?っと、また例のごとく考えて見ました。私のなかでの魔性の女といえば、藤アヤ子か荻野目慶子。うんなんかいいかも、あと三浦理恵子もエッチで捨てがたいと思うがどうでしょうか?
いや脱線しました。今回は「人間椅子」のことです。「人間椅子」は大正14年10月に『苦楽』に発表された短編小説です。美しい閨秀作家の佳子のもとにある日、原稿用紙に書かれた分厚い手紙が届けられます。そしてその手紙は、表題も署名もなく、いきなり「奥様」という呼びかけから始まるのです。手紙の男は世にも醜い姿をした腕の良い家具職人で、暗い妄想に耽りながら仕事をするうちに、自分の作った椅子の中に潜り込んで、自分自身が椅子になってしまう事を思いつきます。
「人間椅子」の大部分を乱歩は椅子になった男の触感の描写に費やします。たとえばこんな感じです。
まっ暗で、身動きもできない革張りの中の天地。それがまあどれほど、怪しくも魅力ある世界でございましょう。そこでは、人間というものが、日頃目で見ている、あの人間とは、全然別な生きものに感ぜられます。彼らは声と、鼻息と、足音と、衣ずれの音と、そして、いくつかの丸々とした弾力に富む肉塊にすぎないのでございます。私は、彼らのひとりひとりを、その容貌のかわりに、肌ざわりによって識別することができます。或るものは、デブデブと肥え太って、腐った肴のような感触を与えます。それとは正反対に、或るものは、コチコチに痩せひからびて、骸骨のような感じがいたします。そのほか、背骨の曲り方、肩甲骨のひらきぐあい、腕の長さ、太腿の太さ、あるいは尾てい尾骶骨の長短など、それらすべての点を綜合してみますと、どんな似寄った背恰好の人でも、どこか違ったところがあります。(中略)異性についても、同じことが申されます。普通の場合は、主として容貌の美醜によって、それを批判するのでありましょうが、この椅子の中の世界では、そんなものは、まるで問題外なのでございます。そこには、まるはだかの肉体と、声の調子と、匂いとがあるばかりでございます。
(以下、略)
作品のなかではそのあとも、外国人の若い女の子が座った時、政治家が座った時、ダンサーが座った時など、延々と緻密な感覚描写が続きます。本当に変態的です。そして椅子は流れ流れてとうとう、「奥様」と呼びかけられる美人作家の佳子の家にやって来るということになります。そして「人間椅子」は、椅子ごしの佳子の感覚に恋してしまいます。こんな感じです。「人間椅子」は過剰なサービスします。怖いです。
私は、彼女が私の上に身を投げた時には、できるだけフーワリと優しく受けるように心掛けました。彼女が私の上で疲れた時分には、わからぬほどにソロソロと膝を動かして、彼女のからだの位置を変えるようにいたしました。そして、彼女が、ウトウトと居眠りをはじめるような場合には、ごくごく幽かに膝をゆすって、揺籃の役目を勤めたことでございます。
(以下、略)
「人間椅子」の告白の手紙を読んだ佳子は、大急ぎで椅子のある書斎を逃げ出します。その後、佳子のもとには「これは全部、創作です」と手紙が届きます。
そんな結末のまとめは、実はどうでもいいいことで、乱歩の「人間椅子」はこの普通ではないものの感じ方をじっくりと書きたかったわけですね。だれにもわかってもらえないけど、気持ちがよいと感じていることを。江戸川乱歩の初期の作品はそんな異端的な告白と、それを感じてしまう自分に対するちょっと悲しい気持ちに溢れていたように思います。
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