先日、銀座へいったのでお馴染みの「香韻」でお茶。あまり天気のよくない夕暮れ時で空いているだろうと思っていたが、店内はほぼ満席。お客さんは女性同士のカップルが4組でとても賑やか。「やなタイミングで入っちゃったなあ」と思ったのだが、ここで帰るのも偏屈っぽいので、おとなしくテーブルに着席してプーアル茶のやや古いのを注文した。
ご覧のような大き目の茶壷で供されたプーアル茶を口に含んでほーっつとしていると、周りの女性グループの大声が不思議に心地よい音圧になって体をなでていくようないい気分になってきた。そうするとここは銀座なんだか台北なんだか定かではなくなって来て、体の中をお茶が廻って行く感じがわかるような、わからないような。まあなんだか曖昧な心地よい状態になってきたというわけ。
それで思ったんだけど、お茶を飲むという行為は静かに思索するとかではなく、環境に自分を溶け込ませるということなんじゃないかと。周りの空気にチューニングさせるという行為なんだなと思ったね。ご機嫌な俺は、店に置いてあった茶壷をのせる飾り台を買ってしまった。平らなところにおいてみるとちょっと歪んでいて、ガタガタするんだけど、まあいいかなんて。今度ご紹介しますわ。
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