今、「宮城谷三国志」の第6巻を読んでいる。毎年秋口に1冊ずつ刊行されるというペースのようだ。第6巻は「三国志」の壮大な物語のなかでも特に重要な部分である“孔明の出廬”と“赤壁の戦い”が描かれている。
この本のなかで、後に蜀の皇帝となる劉備に関して、思わず唸ってしまうような部分がある。以下紹介する。
棄てる人である劉備は妻子も棄ててきた。四十七歳の劉備には二十代の男子がいてもよいはずなのに、一歳の男子しかおらぬというのは、劉備がいかにすさまじい生きかたをしてきたか、そのあかしであるといえなくはないが、家族のあたたかさにあこがれをもたぬ心性を想わせる。
劉備について色々な人が書いた「三国志」を読んだが、私が一番共感できる劉備像はこれである。漢王朝の劉姓の男の宿命を感じさせる家族の愛に乏しい人生がさも当然のように劉備にも用意されていたと、私は考えていた。
血湧き肉踊る「北方三国志」も素晴らしいが、異様なくらい冷静で澄み切った「宮城谷三国志」も一つの到達点であろう。
ちなみに『文藝春秋』の連載では、馬超が曹操と戦っている。そろそろ劉備陣営に加わってくるというところだろう。まだまだ先は長そうだ。ということはまだまだ楽しめそうだ。
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